がん治療の3つの柱は、手術、放射線治療、抗がん剤などの薬物療法だ。
この3つの治療法のなかで、放射線治療は125年、抗がん剤は約75年の歴史しかない。
一方、がんの外科手術の起源は、四大文明の時代にまでさかのぼる。
古代エジプトのパピルスには、乳房の腫瘍を切除した記録が残されている。また、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスも、ペルシャ帝国のダリウス大王の妻の乳がん手術を記録している。
レントゲンもコンピューター断層撮影装置(CT)もなかった時代、洋の東西を問わず、がんと言えば、視診、触診で診断可能な乳がんを指した。
がんの外科手術もまた、乳がんを中心に続けられていた。
しかし麻酔がない手術は、いわば拷問だ。
痛みに耐えかねて泣き叫び、暴れる女性を押さえつけて行う手術は、うまくいくはずがない。
治療結果も惨たんたるものだった。
世界で初めて全身麻酔を使った乳がんの手術が行われたのは日本だった。
江戸時代の医学者「華岡青洲」は、1804年に世界で初めて、全身麻酔による乳がんの手術を行ったことで有名だ。
西洋で全身麻酔が始まるより40年以上も前のことだった。
青洲の全身麻酔は、西洋式のガスの吸入や静脈からの薬物注射とは全く違った。
朝鮮アサガオやトリカブトなど、自宅兼医院だった「春林軒」(和歌山県紀の川市)のまわりに自生していた薬草を調合した「通仙散」を使ったものでだった。
青洲は「実験科学者」だった。
動物実験を繰り返したため、春林軒のあった平山の里から犬が消えたと言われたほどだった。
母の於継と妻の加恵の協力を得て、人体実験を繰り返し、20年かけて通仙散は完成された。
しかし、加恵は副作用のため失明している。
この経緯は、有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」でもつとに有名だ。
執筆
東京大学・中川恵一 特任教授
参考引用一部改変
日経新聞・夕刊 2021.9.1