アービタックス

月57万円「夢の治療」 高騰する薬
「これを見てください」。大腸がん患者で中部地方の無職、須永重雄さん(65)は1枚の紙を示した。がんの再発などの発見に有効な血液中の物質「腫瘍(しゅよう)マーカー」の数値を示すグラフだ。上昇を続けていた値が、新薬「アービタックス」を使い始めると急降下。2カ月半後には健康な人とほぼ同レベルになり、「これほど効くとは思わなかった」と目を丸くした。

 大腸がんは04年4月に見つかった。手術したが肝臓などに転移、本格的な抗がん剤治療が始まった。だが、08年7月ごろからマーカーが急上昇。その直後、アービタックスが発売された。アービタックスは「オーダーメード医療」から生まれた薬だ。オーダーメード医療は、患者の遺伝情報の違いに応じ、一人一人に合った治療を目指す。効果が高く、副作用が少ないと期待され、「夢の治療」とも呼ばれてきた。

 アービタックスは、細胞増殖を促す遺伝子が正常など、条件に合う人だけが使える。須永さんは条件をクリアし、08年11月から使い始めた。すると肝転移したがんが手術可能な大きさに縮小、09年3月に切除できた。肺への転移も切除でき、今は毎日ゴルフを楽しめるまで回復した。だが、この薬は標準的な使い方の場合、月約57万円もする。患者負担を抑える国の高額療養費制度を使えるが、一時立て替えが必要なこともあり、須永さんは「(負担が続くと)助かる命も助からないかもしれない」と心配する。

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 新薬は、なぜ高くなるのか。今年7月、東京・有明で開かれたシンポジウムで、大手製薬企業の研究者が、その仕組みを解説した。「研究開発費が増え、(新薬も生まれにくくなり)新薬の承認数が減った。結果として(新薬)1品目当たりの価格が大幅に上昇した」

 米国研究製薬工業協会(PhRMA)によると、新薬開発に必要な費用は約1500億円(06年当時)で、30年前の約9倍になった。一方、米食品医薬品局(FDA)が09年に承認した新薬はわずか19個。13年前の7割近くも減ったという。

 もう一つの背景が、「2010年問題」だ。製薬企業に莫大(ばくだい)な利益をもたらしてきた主力医薬品の特許が、今年を含む前後数年で次々と切れる。収益悪化が避けられない各社は合併・買収に多額の資金を投じ、生き残りを図る一方、新たな開発ターゲットを探る。製薬企業の研究所に勤務した経験がある佐藤健太郎・東京大特任助教有機化学)は「高脂血症や高血圧など治療薬を使う患者が多い病気に比べ、がんや難病などは患者が少なく、開発が進んでいなかった。それらが新たなターゲットになっている」と指摘する。

 期待を集めるオーダーメード医療。「副作用が減れば、その分の医療費が減る」との意見もあるが、条件に合う限られた患者しか使えない薬は高額になりがちだ。他にも薬の安全性確保のため臨床試験が厳格化され開発期間が長くなり、製造コストが上がるなど、「夢の治療薬」の対価を跳ね上がらせる要素は多い。医薬品開発に詳しい小野俊介・東京大准教授は「今後、オーダーメード医療が進展すれば、新薬が高額化し、医療費負担が重くなる患者が増えるだろう」と懸念する。

http://www.m3.com/news/GENERAL/2010/08/30/124724/?Mg=bbdd00931c0f4513c11d9be3fbbdc932&Eml=31ef79e7aaf65fca34f0f116a57fd65d&F=h&portalId=mailmag&mm=MD100830_CXX
出典 毎日新聞 2010.8.30
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