予防接種とリスク

= 予防接種とリスク 一種の「賭け」、丁寧な説明を = 
パスカル『パンセ』の中に「賭け」が登場する。
もしも神がいるなら信仰者は救われる。
神がいなければ信仰の有無で何も変わらない。
ならば神がいる方に賭けて信心深く行動しておいた方が得だ――。
こうしてパスカルは信仰を勧めた。

<私的コメント>
海外のボクシングで、両方の対戦者が試合前に十字架を切ります。
しかし、必ず片方が勝ち片方が負けます。
(怪我もなく無事に試合が終了することを祈るなら別です)
伊勢神宮などの参拝の帰りの自動車事故を起こす人がいます。
(賽銭が少なかったと言われればそれまでです)
 
予防接種も一種の賭けだ。
今頃の季節になるとインフルエンザ・ワクチンを打つかどうかの決断に迫られる。
この賭けでは病気の流行がなかった場合にも「接種の有無で何も変わらない」とはならない。
なぜなら接種にはリスクが伴うからだ。
 
種痘法制定以来の予防接種史を分析した手塚洋輔『戦後行政の構造とディレンマ 予防接種行政の変遷』によれば日本では社会防衛を重視した強制的な予防接種政策が長く推進されてきた。
ところが1960年代末から接種の副反応被害が知られ、政府は責任を問われ始める。
予防接種をしないで病気を蔓延させる「不作為過誤」と予防接種禍を招く「作為過誤」の間でジレンマに陥った行政は萎縮し、接種を本人や保護者の判断に委ねるに至っていた。

消極路線の修正
しかし、そんな消極主義路線が再修正される。
ヒトパピローマウイルス(HPV)が子宮頸がんの原因になるとわかり、2006年に英国の製薬会社がワクチンを開発。
日本でも09年にスピード承認が実現。
11年には各自治体で接種の公費助成が始められている。
 
高橋真理子著『最新 子宮頸がん予防 ワクチンと検診の正しい受け方』はこうして導入が急がれていた時期の刊行にもかかわらずリスクにも言及していた点で評価に値する。
そして、案の定というべきか、13年には副反応が疑われる事例が大きく報じられた。
厚生労働省はHPVワクチンの定期接種を含めた改正予防接種法施行のわずか2カ月後に接種の「積極的勧奨」を中断する。
 
斎藤貴男は著書『子宮頸がんワクチン事件』でHPVワクチンの接種勧奨の再開は「社会的な合意を得られるだけの安全性を備えた新ワクチンの完成を見てから」にすべきだと書く。
 
そんな悠長な対応では年に約3千人が亡くなるがんを防げない。
そう異議を申し立てる声もあろう。
ちなみに338万人に接種して被害者連絡会の登録被害者数は約340人(15年2月末現在)だという。
しかし斎藤は製薬会社が医師や政治家に働きかけた結果、HPVワクチンが「天の声に誘われでもしたように、この国の社会システムに組み込まれ、たちまち浸透した」とも書く。

新薬承認に不信
そこでは新薬の承認や法制度化の手続き自体に疑惑のまなざしが向けられており、接種と副反応の因果関係をデータ(エビデンス)に基づいて実証的に検討する議論に進めないのだ。
こうなっては鳥集徹が著書『新薬の罠』で提唱するように製薬会社からの寄付などが医学的な判断を左右する可能性を断つ制度改革を敢行せずにはワクチンは不信感から忌避され続け、救えたはずの命も救えなくなりかねない。
 
ジェイムズ・メザ、ダニエル・パッサーマン著『ナラティブとエビデンスの間』は医師と患者の対話の重要性を指摘する。
その対話は医療業界側が安全安心の「物語」を患者に説伏するものであってはならない。ゼロにならないリスクや万が一の際の救済措置も含めて丁寧に説明し、治療や予防接種を受けようとしている人の切実な「賭け」を側方から支援すべきなのだ。          
出典
朝日新聞・朝刊 2015.11.22

<私的コメント>
予防接種に関する3冊の出版物に対する書評です。
したがって武田氏にああだこうだというのは酷というものです。
これらの書物で結論がはっきり書かれているとも思えません。
予防接種の全否定は出来ないからです。
「製薬会社が医師や政治家に働きかけた」ということが事実なら、そのことを徹底的に追及することが何よりも重要なのではないでしょうか。
薬害エイズ事件」のように・・・。
もし根拠がないということなら当事者と思しき人達に名誉毀損で訴訟される可能性すらあります。

      
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京都・下鴨神社 2015.11.15 撮影
ボロとは一体何なんでしょうか。
後ろのポリバケツも微妙です。
大体想像はつくのですが、「ロ」の字も微妙なのでクイズ形式になっているのでしょうか。
京都弁独特の表現ならそれまでですが。
どなたか関西の方にコメントをお願いできませんか。