iPS10年、成果とハードル

iPS10年、成果とハードル 「拍動」刻む心筋細胞シート、再生医療への研究進む

皮膚や血液の細胞から作れる万能細胞、iPS細胞が開発されて今年で10年。
無限に増え、体の様々な種類の細胞に変化できる性質を生かし、再生医療創薬に向けた研究が急速に進んでいる。
一方、複雑な組織ほど体外で作り出すことは難しく、越えなければならないハードルも見えてきた。

大阪大・心臓血管外科の研究グループでは、人のiPS細胞から作ったシート状の心筋細胞を虚血性心筋症などの、現在は心臓移植が必要になる心臓病の患者らに使う研究を進めている。
直径約2センチの培養皿に入ったシートには、心筋のほか、血管をつくる細胞などが含まれている。
半透明のシートを顕微鏡で拡大すると、全体が連動してリズムを刻む様子がはっきり見える。
まさに「拍動」だ。心臓に貼れば、
一体となって動くと見込まれている。

人に使うために安全性を確認する最終段階まで来ているという。
 
京都大iPS細胞研究所(CiRA)の山中伸弥教授が作り出したiPS細胞は、ES細胞のように受精卵を使う必要がないため、倫理的な問題がなく、作りやすいことから、再生医療への利用が期待されてきた。
 
先頭を行くのは理化学研究所のプロジェクトチームだ。
加齢黄斑変性という目の病気で臨床研究を始め、14年には患者のiPS細胞から作った網膜の色素上皮細胞のシートを患者の目に移植した。
 
ねらった細胞に変化し損なったiPS細胞が体に入ると腫瘍になる危険があるが、今のところ異常はないという。
先月(2016年4月)、日本眼科学会総会で「安全性に関するエンドポイント(評価項目)は達成した」と報告された。

国も全面的に支援する。
iPS細胞を含む再生医療関連の今年度予算は文部科学、厚生労働、経済産業の3省合わせて約148億円。文科省は昨年、iPS細胞研究のロードマップ(工程表)を改訂し、計19の細胞や器官で、実際に患者で研究を始める目標時期を掲げた。
京大が進めるパーキンソン病患者への神経細胞の移植や血小板の輸血、阪大の角膜の移植は、早ければ今年度の開始とされている。

自家移植は準備に1億円、「備蓄」使いコスト減へ
ただ、細胞の培養や品質のチェックに膨大なコストと時間がかかる。
1例目の目の臨床研究では、細胞の準備から移植までに1年近く、約1億円を費やしたとされ、山中さんも「(患者自身の細胞を使う)自家移植は考えていた以上に大変だ」と口にする。
 
このため、CiRAではあらかじめ品質を確認したiPS細胞を備蓄し、配るプロジェクトを開始。
細胞は、多くの日本人に移植しても拒絶反応が起きにくいタイプの健康な人から提供してもらう。
 
理化学研究所のプロジェクトチームは2例目以降の移植にこの細胞を使う研究を準備している。
色素上皮なら一つの皿で何十人分も作れ、コストを減らせる。
将来は普通の治療としていけるぐらいになる。
 
一方、iPS細胞が国外で再生医療に広く使われるかは不透明だ。
すでに欧米ではES細胞を使った研究が根付いており、加齢黄斑変性など、数十人の患者にES細胞から作った細胞による臨床応用も進んでいる。
再生医療は競争が激しい。
ES細胞が世界の標準になる可能性もある。

新薬研究に培養組織活用、技術確立には課題も
再生医療への応用のほかに近年、注目を集めているのが創薬の研究だ。
理研の専門職研究員らのグループはCiRAと共同で、ES細胞の研究で培ってきた大脳や小脳の組織を体外で作る技術を応用する。
アルツハイマー病や筋萎縮性側索硬化症、小脳変性症などの患者の細胞からiPS細胞を作り、脳神経に変える。
 
培養皿でこの神経を調べると、患者ごとに薬に対する反応が違ったり、特定の細胞がストレスに弱かったりすることがわかった。
患者自身の脳組織を研究で使えるのは、iPS細胞ならではの手法だ。
 
CiRAの別のグループは、遺伝子変異が原因の軟骨の難病で薬の候補を見つけた。
患者のiPS細胞から作った軟骨は正常な組織に培養できなかったが、高脂血症治療薬のスタチンを加えると正常になった。
 
こうした手法を使えば、薬の開発にかかる時間やコストを大幅に削れると期待される。
ただ、複雑な組織になるほど体外での培養は難しく、細胞に酸素や栄養を供給し続けて成長させる仕組みも必要になる。
 
腎臓の組織づくりに取り組む熊本大の研究グループは「病気を調べるためには、まず正常な組織を作る必要がある。ただ、できたものがどこまで体内の状態を再現しているか確認が難しい」と指摘。
マウスのiPS細胞を使い、毛包や皮脂腺など皮膚の器官をまとめて再生することに成功した理研の研究グループも「立体的な組織を作るには、培養技術の革新が必要だ。iPS細胞の潜在力をまだ引き出しきれていない」と話している。

<iPS細胞(人工多能性幹細胞)> 
無限に増やせ、体の様々な細胞に変化できる能力を持った細胞。
同様に万能性を持ち、受精卵を壊して作るES細胞(胚性幹細胞)と異なり、体の細胞から作ることができる。
山中伸弥・京大教授が2006年、マウスの皮膚の細胞に四つの遺伝子を働かせて作製に成功した。
07年には人でも成功した。

 
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出典
朝日新聞・朝刊 2016.5.12