光遺伝学、脳の機能を分析

心の仕組み 照らせるか 光遺伝学、脳の機能を分析

脳の中では無数の神経細胞が回路を作り、信号をやりとりしながら多彩な生命活動を支えている。
活動する神経回路を詳しく調べる新手法「光遺伝学」が広く使われるようになり、脳の機能を解明する研究が盛り上がってきた。
脳科学を発展させ、神経の異常が関わる病気の原因究明や治療法開発につながると期待されている。

四畳半ほどの広さの実験室に計測装置や実験器具などが所狭しと並ぶ。
マウスの小さな脳の中で起きる電気信号の流れを記録するために必要な設備だ。
2019年4月、玉川大学から東京医科歯科大学に移籍した礒村教授らはこれらを駆使し、脳で視覚をつかさどる領域や運動を制御している領域などの間で流れている信号を神経細胞1個ずつ調べようとしている。

この実験に欠かせない手法が光遺伝学(オプトジェネティクス)だ。
光に応答するたんぱく質を遺伝子組み換え技術を使ってマウスの神経細胞に作れるようにした。
光を当てると神経細胞は活動状態になり、光を消すと活動が止まる。
ミリ秒単位で神経細胞のオン・オフを制御できる画期的な技術だ。

礒村教授らはこの光遺伝学と神経細胞の電気信号を調べられる小さな電極を組み合わせて、どの神経細胞を使って脳内で情報を伝えているのかを調べる方法を確立した。
18年に発表した実験では、マウスにレバーを押すと水がもらえる課題に取り組ませた。

実験の前半、マウスはレバーを手前に押すと高確率で水がもらえる。
後半では奥に押すと水が高確率でもらえる設定に変えた。
マウスは水を飲もうと途中で押すレバーの向きを変えるようになる。
どの神経回路がこの戦略の変更に関わっているのかを突き止めるのが目的だった。

この実験で、レバーを手前に押して水が飲めるとわかると、マウスは同じ方向に押し続ける。
途中で設定を変えた後、マウスは水を出そうとレバーの押す方向を変えようと試みる。
前半の同じ方向にレバーを押す行動を繰り返し選択するときに働く回路と、後半に選択を切り替えるときに働く回路が個別にあることがわかった。
それぞれの回路に情報を伝える67個と47個の神経細胞を特定できた。

人間の大脳には百億個以上の神経細胞があり、1個の神経細胞は数百から数千の回路につながっている。
視覚や聴覚などから得た信号をどの回路を使って流していくのかは行動の選択と深く関わり、脳の情報処理の基本といえる。
この働きが異常になるとうつ病パーキンソン病などを発症すると考えられ、原因の解明に欠かせない研究だ。
これまで神経細胞の単位で分析する方法はなかった。
しかし光遺伝学の登場で状況はがらりと変わった。
礒村教授は「脳の各領域を行き来する信号を詳細に調べ、回路の機能の解明に挑みたい」と意気込む。
今後、一度に1000個以上の神経細胞の計測を目標に電極の数を増やしたり実験の操作を自動化したりと改良を重ねていく。

光遺伝学は米スタンフォード大学のカール・ダイセロス教授らが開発した。
07年にマウスを操作する実験に成功すると一気に研究の最前線で広く使われるようになった。
ノーベル賞の呼び声も高い。

脳の機能解明を目指す研究で貢献度は計り知れない。
マサチューセッツ工科大学利根川進教授らと理化学研究所などのグループは12年にこの手法を利用し、マウスの脳で記憶の痕跡に関わる細胞群を実験で初めて証明した。
さらにこの細胞群を人為的に操作して記憶を書き換える実験にも成功している。

光遺伝学をもっと使いやすい手法にしようと、研究者は改良版の開発に力を注ぐ。
現在の光遺伝学は脳に電極や光ファイバーをつなげる必要があり、自由に動き回れる環境で実験できない。

大阪大学の関谷教授らはケーブル類を取り払った方法を開発中だ。
光源やセンサー、電源などを集積したフィルム状の小型な回路を実験動物に埋め込めないか検討している。「複数の動物を使って脳の社会的な機能を調べる場合、ケーブルの無い状態の方が望ましい」(関谷教授)

「光がいっぱいきらめいているようだわ」「あの動く閃光が人間の心を代表しているんだ」
米国のSF作家、アイザック・アシモフは半世紀前「ミクロの決死圏」の中で、超小型潜航艇で人の体内に潜り込んだ科学者たちが脳内を訪れた感想をこう表現した。
発展する光遺伝学によって、私たちの心の仕組みの多くの謎がひとつずつ解き明かされていきそうだ。


神経細胞 人間の脳に1000億個
体中に張り巡らされた神経網を形作る細胞で、情報の伝達と処理に関わる。
人間の脳には約1000億個の神経細胞が存在しているとみられている。
神経細胞は細長い軸索と呼ぶケーブルを伸ばし、シナプスという結合部位で他の細胞とつながり、結合の数は100兆個以上になるという試算もある。
 
1個の神経細胞の中では電気信号で情報が伝わり、細胞間では様々な化学物質を使って情報を伝えている。
これら化学物質の量の変化がうつ病などをはじめとした神経疾患に関わっていることもわかってきた。
電気信号で演算するコンピューターと異なり、神経細胞の情報伝達に様々な物質のやりとりが絡むことも脳の仕組みの解明を難しくしている。

参考・引用一部改変
日経新聞・朝刊 2019.6.2


関連サイト
光遺伝学で脳の信号を理解する
https://wordpress.com/post/aobazuku.wordpress.com/453