ノーベル賞

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私は高校生時代、通学のため下宿していました。
下宿に入った時、同じ高校に通う三年生の先輩が「映画の友」と「スクリーン」を買っては
読んでいました。
今は廃刊になっていますから若い方はそんな雑誌、ご存知ないでしょう。
当時はそんな雑誌があったんです。
そういった環境もあってすっかり洋画ファンになっていきました。
そんな中でほとんどの方はご存知ないと思いますが「THE PRIZE(逆転)」という映画を映画館
で観ました。
今から思えばマセた、不良高校生だったかも知れません。
ノーベル賞の授賞式を舞台にした映画でポール・ニューマンエドワード・G・ロビンソン
エルケ・ゾマー、ダイアン・ベイカー、ミシュリーヌ・プレールが出演。
地味な映画ですが、今となっては結構豪華キャストです。
多感な年頃ゆえ、女優エルケ・ゾマーにぞっこん。
女性はきっとポール・ニューマンの瞳にとろーりとしたことでしょう。

女優エルケ・ゾマーを知っている諸氏はかなりの洋画気違いでつ・・・よ!。

毎年のノーベル賞の発表の季節が来る度にこの映画を思い出します。


ヒッチコックの映画「引き裂かれたカーテン」も何だか似ています。
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/Torn%20Curtain.htm

さて本題の「ノーベル賞」です。
このことについては最近、私の他のブログでもとりあげさせていただきました。
インスリン発見を1ドルで売った男
http://wellfrog.exblog.jp/d2007-10-09
2007年ノーベル医学生理学賞
http://wellfrog.exblog.jp/i7/

まずは今年のドクター・ドラマチックから。

その1

路上生活児からノーベル賞学者へ=カペッキ博士の波乱人生?
ストリートチルドレンからノーベル賞学者へ?。
ノーベル医学・生理学賞の受賞決まったばかりの米ユタ大のマリオ・カペッキ博士(70)=
米国籍=の波瀾(はらん)万丈の経歴に全米の注目が集まっている。

報道によると、博士はイタリア生まれ。第二次大戦中の3歳の時、詩人だった母親は、
ファシスト運動に参加したとして秘密警察に連行され、強制収容所へ送られた。
母親は未婚で、マリオ少年は農家に預けられたものの、程なく農家の困窮した生活から脱出、
4歳半で「路上に飛び出した」という。
物ごいや盗みを働き、必死に生き抜いた。

転機は9歳の時。栄養失調で運び込まれた病院に、終戦で収容所から生還した母親が迎えに現れた。
母子は親族の招きで渡米。マリオ少年が生まれて初めて登校したのは米国に到着した翌日だった。

名門ハーバード大で博士号を取得したカペッキ博士はその後、特定の遺伝子の機能を失わせた
ノックアウトマウス」を作ることに成功。病気の原因解明などに幅広く貢献する技術を確立し、
今回の受賞につながった。

博士と旧知の教授は米紙に、博士は実現困難と批判されても、「重要課題を追究する強靱
(きょうじん)な意志を持っていた」と語った。「不可能なことは何もない」が博士の信条という。 
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-11X371.html


その2
ノーベル賞への批判
その設立当初から受賞者は欧米人が最も多く、このことによるノーベル賞への批判は少なくない。
19世紀から20世紀にかけて科学に関して欧米が圧倒的な主流として存在していたという事情もある
ためにやむを得ないともいえるが、欧米と物理的・文化的に遠い地域での業績が評価されづらかっ
たのも事実である。
また自然科学賞は選考人物に批判が多いが、経済学賞は賞自体が疑問視されているなど批判の種類
も違う。
そのほかの批判として、受賞資格に「本人が存命中」であることが挙げられる。
どれほど偉大な業績を積み上げた科学者であろうとも、その死後にはノーベル賞は与えられない
ロザリンド・フランクリンは1953年にDNAの二重螺旋構造の解明につながるX線回折写真を撮った
とされるが、1958年に37歳の若さで死亡したため、生理学・医学賞受賞の栄誉は得られなかった。)。
自然科学賞への批判
自然科学賞の批判は主に選考対象人物にあり、研究内容が受賞した人物よりもっと該当する人物が
いることが多い。ここでは日本人を例に紹介する。
クリスティアーン・エイクマンがビタミンB1の発見によって1929年生理学・医学賞を受賞しているが、
エイクマンは米ぬかの中に脚気の治癒に効果のある栄養素(ビタミン)の存在を示唆したにすぎず、
実際にその栄養素をオリザニンビタミンB1)として分離・抽出し発見したのは鈴木梅太郎である。
ヨハネス・フィビゲルが寄生虫によるガン発生を唱えて1926年生理学・医学賞を受賞しているが、
同時期に刺激説を唱えていた山極勝三郎が受賞を逃している。
後日、フィビゲルの説は限定的なものであるとして覆され、今日のガン研究はすべて山極の研究に
拠っている。
エドヴィン・クレープスは生体制御機構としての可逆的タンパク質リン酸化の発見により、
1992年生理学・医学賞を受賞しているが、この分野では西塚泰美の業績の方が国際的に評価が高い。
北里柴三郎は欧米でも知られており、なにより共同研究者であったベーリングが1901年生理学・
医学賞を受賞しているのにもかかわらず、北里柴三郎が受賞から外されている。これはやはり
異例のことである。
欧米人での有名な選考人物の批判は、1923年F・G・バンティングとジョン・ジェームズ・リッカード
・マクラウドの生理学・医学賞の受賞がある。 インシュリンを発見したのはバンティングであり、
糖尿病の権威者マクラウドの共同受賞にバンティングは憤慨した。バンティングはマクラウド
糖尿病を防ぐホルモンの抽出する実験をしたいという申しいれを何度もしてようやく、マクラウドスコットランドに休暇している8週間の間に、実験室が使うことができ成功した経緯がある。
http://wellfrog.exblog.jp/d2007-10-09
選考人物批判の他には受賞理由の研究内容が賞に値しないとする批判がある。1949年アントニオ・
エガス・モニスのロボトミー手術技法の確立による受賞が有名。
文学賞への批判
文学賞は賞の選考基準がよく問題視される。すぐれた文学の選考は難しく、何をもってすぐれている
のか曖昧であり、近年は各国持回り的傾向とともにしばしばその問題点が指摘される。
他には西側の文化や主張を取り入れた作品が多く受賞し、サルトルがこれを理由に受賞を拒否し、
ボリス・パステルナークは体制批判をした内容による受賞のため、ソビエト当局の圧力により受賞を
辞退した。
平和賞への批判
平和賞はノーベル賞の中で選考人物にもっとも批判の多い賞であり、物議が絶えない。平和賞は
しばしば戦争終結功労賞や(賞の前渡しで紛争解決に圧力をかける)投機的授賞と揶揄され、
戦争を起こした人が和平合意するなどして受賞し、物議を醸している。戦争終結功労賞の例として
有名なのは、ベトナム戦争終結を約したパリ協定の功労による1973年のヘンリー・アルフレッド・
キッシンジャー元米国務長官北ベトナムのレ・ドゥク・ト元共産党書記の受賞であるが(レ・
ドゥク・トは受賞拒否)、そもそも北爆を敢行したのはキッシンジャー国務長官であり、さらに
この協定後も戦争は続いている。
1935年ドイツのジャーナリスト、カール・フォン・オシエツキーが受賞、その後ヒトラー政権は
ドイツ人がノーベル賞を受け取ることを禁止した。
1975年ソ連の物理学者アンドレイ・サハロフが受賞、ソ連国内で批判キャンペーンが党の主導で
起こされた。
1989年ダライ・ラマ14世の受賞により中国政府の抗議、1991年アウン・サン・スー・チーの受賞
に対し、軍事政権が反発した。
2000年金大中の受賞は朝鮮半島における南北首脳会談を開催した功績によるものであるが、この
南北首脳会談は現代財閥が5億ドルの北への違法送金を行い金大中がそれを黙認したことの見返り
と言われ、批判を招いた。
また、この金大中の受賞については、受賞のための活発なロビー活動を行ったことが報道され、
ノーベル賞を金で買った」という批判が(主として欧米で)なされている。もう一方の当事者の
金正日には賞が与えられていない。
日本では佐藤栄作非核三原則等を功績として平和賞を受賞したが、これには疑問や批判が多く、
2000年代に入りノーベル財団自身がこの授与に否定的な見解を発表している。
分野が限定される事への批判
ノーベル賞を取れる学問分野が限定されてしまっているために、多大な功績を残してもノーベル賞
を取れない分野の学問が相対的に低く見られてしまう場合がある。
ちなみに数学については、ノーベル賞に数学賞がないことから、「フィールズ賞」が創設され、
「数学のノーベル賞」とも言われている。
ノーベル賞
http://ja.wikipedia.org/wiki/ノーベル賞
(以上、このサイトからの抜粋でした。ノーベル賞もいろいろ問題をかかえているようですね。)


話題をもう一つ。
イグ・ノーベル賞受賞
今週は各分野のノーベル賞が次々と発表されているが、これとは別に、「笑えるとしか言いようが
なく、しかも科学への興味を誘うような記憶に残る業績」を残した者に贈られる賞としてイグ・
ノーベル賞というものがある。
日本でも、今年は国立国際医療センターに勤務する山本麻由さん(26)が化学賞を受賞した。

受賞となった研究内容は、牛糞からバニラの芳香成分であるバニリンという物質を抽出するのに
成功したというもの。

授賞式では、ノーベル賞受賞者の偉い先生方にも、牛の糞からつくったバニリン入りのアイスクリーム
が配られたというが、食物としては(香水としても?)あまり使いたくない気もする。
実際、山本さんも「受賞は廃棄物の活用法を知ってもらえるよい機会だが、この方法で抽出した
バニリンは食物には向かないかも」と語っているという。

イグ・ノーベル賞受賞 牛の糞バニラ香の原理とは?
http://news.ameba.jp/2007/10/7678.php

医療専門のブログは別にあります。
井蛙内科開業医/診療録http://wellfrog.exblog.jp/
葦の髄から循環器の世界をのぞくhttp://blog.m3.com/reed/200708