ウイズ・エイジング(老いとともに)

「アンチ・エイジング」という言葉や発想法には以前からある種のうさんくささや
抵抗感を持っていました。
昨日、読んだ新聞記事(「天声人語」)に「ウイズ・エイジング」という言葉が
出ていました。
低迷が続く「天声人語」ですが、久しぶりに感銘を受けました。

どちらかというと「アンチ・エイジング」は西洋的発想、「ウイズ・エイジング」
は仏教に根ざしたた日本的な発想と私は感じました。


以下記事の紹介です。



鍋にせよ万年筆にせよ、使い込んだ道具には、体の一部になったような安定がある。
愛着もわく。同じことが「人生」にも言えるようだ。作家の田辺聖子さんが老い
の日々を、「人生そのものが、ようく使い込んで身に合ってきた」と書いている
(『楽老抄』)。

六十路の後半の一文である。その年の夏には、もらったうちわに「老いぬれば 
メッキもはげて 生きやすし」としたためたそうだ。
老いと道づれ、あるがままにという、人生の達人らしい肩の力の抜けようがいい。

それに一脈通じよう、「ウイズ・エイジング」という考え方を先ごろの小紙で
知った。
加齢に抗する「アンチ・エイジング」の逆で、訳せば「老いとともに」となる。
高齢医学が専門の杏林大教授、鳥羽研二さんが提唱している。

若さは素晴らしい。
だが年を取るのも悪くない。顔のしわは年輪の証し。
記憶力は衰えても、季節や身辺への感性はむしろ豊かになる。
鳥羽さんによれば、70歳の語彙(ごい)は20代の2倍以上もあるのだと
いう。

〈厚顔可憐(かれん)の老境は はじめてきたが おもしろい……〉。
90歳になった漫画家やなせたかしさんは、近著の『たそがれ詩集』(かまくら
春秋社)につづる。

老化をむやみに嫌ったり落胆したりせず、かといって背も向けない。
鳥羽さんの理念に通じるものがあろう。

一つの言葉から膨らむイメージがある。
「アンチ」と尖(とが)らぬ「ウイズ・エイジング」の穏やかさは、深まりゆく
人生への敬意も呼びさます。
高齢社会のきびしい現実の中でこそ、広まってほしい言葉である。

出典 朝日新聞・朝刊 2009.7.11「天声人語
版権 朝日新聞社



記憶力は衰えても、季節や身辺への感性はむしろ豊になる


以下は
平成21年5月31日、朝日新聞朝刊の記事(「私の視点」)です。
 
高齢化社会 ウイズ・エイジングを糧(かて)に
 鳥羽 研二 医師、杏林大教授(高齢医学)
      ■         ■
確実に進む加齢をどう受け止め、上手に老いていくか。高齢化社会の難題を
解くかぎのひとつとして、日本人の特質を生かして老化と素直に向き合う生き
方「ウイズ・エイジング(With Aging)」を提唱したい。
 
米国で急速に台頭したアンチ・エイジング(Anti Aging)の概念
がわが国へも広がったのは、今世紀に入った頃たった。
抗加齢、すなわち、老化現象を悪と決めつけ、何とか逆らおうとする主張で
あり、いつまでも若々しくと願う中高年の人びとの心理を巧みにとらえた。
 
若々しくありたいのは自然の欲求だ。
しかし、行き過ぎるとどうなるか。たとえば、顔のシワを消したいあまり、
危険を冒してまでも胎盤注射の治療に踏み込んでしまう。
ここは、円然した知性でシワを年齢に相応の魅力のひとつと受け止めたい。
      ■         ■
アンチ・エイジングではその人が社会に役立つか否か、という基準が強調
されすぎていると思えてならない。
不老長寿があたかも実現できるかのようないかがわしい宣伝すらある。
ライフスタイルだけでなく化粧品、薬品、栄養食品など多様な産業が有望
な市場ととらえて殺到している。
 
ウイズ・エイジングという概念に私が至ったのは、老年医学の現場で長く
過ごす中で「老いることにも、光を当てるべき良い部分があるのではないか」
と考えたからだ。
      ■         ■
加齢による変化は否定的に理解されがちである。しかし、本当にそうだ
ろうか。
 
確かに記憶力は低下するが、判断力や推察能力、寛容さは向上することが
少なくない。
20代の大学生と比べて70歳の語彙(ごい)は2倍以上、また自然科学の
学問のピークは40~50歳だが人文科学は70歳でもピークを保っている
との研究結果もある。
「年の功」だ。
      ■         ■
どんな老化現象にもそっと寄り添い、生活上の不自由さはなるべく生じない
よう知恵を絞る。たとえ認知症や寝たきりになっても、排泄や食事がなるべく
自然に近い状態でできるよう配慮することで、その人らしさを保つ工夫をする。
死の際に、額のシワに言葉にならない高齢者の人生を実感できる。
単に精神論ではなく、価値あるものとして学問的に証明していきたい。
      ■         ■
わが国は長寿国で、介護保険国民皆保険など誇るべき制度も多い。
謙譲の美徳や協調の精神は今なお日本人の誇るべき長所でもある。
この特質に、加齢を包括的に理解するウイズ・エイジングはうまく融合する
のではないか。
 
老化現象をむやみに嫌ったり落胆したりせず、そうかといって目を背けもしない。
その人なりの老化を個性の一部と見なすウイズ・エイジングを、アンチ・
エイジングと対極の概念として成然した高齢社会の糧に育てたいと思う。

版権 朝日新聞社

<コメント>
私の気になる人物、尊敬する人物の中に「良寛」と「中野孝次」がいます。
彼らが現代に生きるならアンチ・エイジングに対するアンチテーゼとして「ウイズ
エイジング」はすぐに唱えたでしょう。

中野孝次氏は5年以上前になると思いますが、亡くなる前に「老いるということ」に
ついての随筆を新聞に書いていました。

日経新聞に掲載されていましたが、まさに「白鳥の歌」ともとれるエッセイでした。
読まれた方も多いのではないでしょうか。

私は、その後今に至るまで、それ以上のエッセイを新聞記事で読んだことはありま
せん。


人生の残り時間が少なくなってきた。
そう思い始めたとき、人はどうするか。
出来るだけ豊かに多彩に生きようとするのか。
あるいは余計なものを削りつつ、簡素な生き方を志すのか。

テレビは見ない、電話は嫌い、冠婚葬祭、夜のパーティーはすべて欠席、ワープロ
インターネットとは無縁。今夏亡くなった中野さんは、余計なものを排除しながら
晩年を送った。

機械文明を嫌い、クーラーやファクスもない生活だった。
一方、お茶の銘柄などには凝った。
大量消費文明を一貫して批判し、いいものを大切に使った。
地道に生きる世間一般と同じ感覚があったからこそ、中高年の読者に受け入れら
れた。

しかし、捨て切れないものもあった。酒の楽しみである。
午後は間食せず、水分も控える。
そうやって体調の下拵えをしながら、日が暮れたときのことを思って、心をおどら
せる。
そして一人酒に至福の時間を過ごした。


残りの時間には、日本、中国や古代ローマの古典の世界に沈潜した。
簡素でぜいたくな余生である。
そんな生活の中から、いやおうなく見えてきたものがあった。
現代社会のゆがみである。
「老いの操り言」とは言わせない数々の警告を残した。

「死はさしたる事柄に非ず。生のときは生あるのみ。死のときは死あるのみ」。
そう覚悟を述べ、3年前、「死に際しての処置」として近親者だけの簡素な葬儀を
指示していた。