抗がん剤、高騰

日本ではすでに死因の第1位で、身近な病気となった、がん。
このがんの治療費が高額になっている。
とりわけ抗がん剤の高騰が目立つ。
医療技術の高度化に伴い、最近開発されたものの中には1カ月の薬代が数十万円という例も珍しくない。
高額化する薬剤費に我々はどう対応していけばいいのだろうか。

Aさん(64)は7年前、血液がんの一種「慢性骨髄性白血病」と診断された。
自覚症状など何もなく、人間ドックで突如見つかった。
不安と絶望感でいっぱいのAさんに主治医は、「よく効く飲み薬ができたので、これで治していきましょう」と語りかけた。

最初は「グリベック」という薬。
吐き気などの副作用はあったものの、検査数値はぐんぐん改善した。
今年3月からは新しく出た「スプリセル」という薬に変更。副作用も少なく、精密検査でも正常な状態まで回復した。
薬は飲み続けなければならないが、今は町内会や患者会の活動で充実した日々を過ごしている。


3カ月後に還付
問題は重い医療費負担。
グリベックは1カ月の薬代が30万円強。
スプリセルに至っては50万円を超える。
Aさんが加入している国民健康保険など公的医療保険では、かかった医療費の3割(70歳以上などは1割)を患者が負担する。
3カ月分のスプリセルを受け取るとき、皆川さんが支払う額は50万円以上にもなる。

ただし、公的医療保険には患者負担の上限を定めている「高額療養費制度」(表A参照)がある。
これによって一般的な所得の人であれば1カ月に支払う負担額は8万円程度に抑えられる。
さらに皆川さんのように医療費が継続してかかる場合は、上限が4万4400円まで下がる。
申請すれば、上限額を超えて支払った分は3カ月ほど後に還付される仕組みだ。


イメージ 1



Aさんは「当座の3割負担分を用意するのは大変で、年金生活の身に4万円以上の負担もきついが、公的保険があったおかげで高い薬も使えて命がある。本当に感謝している」と語る。

血液のがんに限らず、抗がん剤の高額化が顕著だ。特にここ数年増え始めた「分子標的薬」はその傾向がはっきりしている。
分子生物学を駆使して開発される薬で、グリベックもスプリセルも分子標的薬だ。
1錠や注射1回で何千円、何万円もするものが相次いでおり、1カ月当たりの薬代が100万円を超すこともある(表B)。

イメージ 2



こうした状況は医療現場に影響を与えている。
「お金がないから治療が受けられない」という患者が出てきているのだ。
卵巣がん体験者の会スマイリーでは、「高額療養費制度があっても収入が少ないので払えない、当座の3割負担を工面できない、といった相談が増えている」(片木美穂代表)。

岩手医科大学付属病院(盛岡市)でも「ここ1、2年、がんの医療費に関する相談が目立つ」(医療福祉相談室の斎藤俊哉室長)という。
相談室にはがん関連の相談が月70件ほどあるが、その8割が費用に関するものだ。

費用負担が重いとなったとき、患者にはどんな対応策があり得るのか。表Aを見ながら考えよう。

まずは高額療養費制度の仕組みをよく知ることだ。
特に入院の場合は、入院前に自分が加入している健康保険や国民健康保険の窓口で「限度額認定証」を発行してもらい、それを病院に提出する。
そうすれば医療費が高額になった場合でも3割分すべてを払う必要はなく、定められた上限額の支払いだけで済む。

通院で抗がん剤治療を受ける場合は、この方法は原則使えない。
当座の支払いに必要な分を無利子で貸してもらえる制度などもあるので、加入する健康保険などに問い合わせてみるのがよい。

抗がん剤の通院治療に着目した民間保険商品も登場。
東京海上日動あんしん生命保険が昨年発売したがん保険などに付ける特約では、抗がん剤治療を受けた月に5万~10万円を最大60カ月給付するという。


分割払い対応も
どうしても患者負担分が支払えないとき、分割払いに応じてくれる病院もある。
大きな病院などには患者の相談室が整備されている。
岩手医大病院の斎藤さんは「病院だけでは解決できない問題でも、外部の公的機関などと連携すれば糸口が見つかることもある。1人で悩まずとにかく相談してほしい」と話している。

現在の高額療養費制度の上限額が「高い」という声も強まっている。
景気低迷や非正規社員の増加などで収入が減る人が増える一方で医療費は上昇しているためだ。
このような状況を踏まえ、厚生労働省は一部患者の負担上限額を引き下げる検討を始めた。

現行制度では「一般所得者」と分類される患者のうち、年収が300万円以下といった低収入層の負担上限額を現在の半額程度に下げる案などが浮上している。
ただし、この財源を確保するためには健康保険料や税金が今よりも必要になる。
同省では少しでも財源を確保するため高所得者の上限を引き上げることも合わせて検討中。
年内にも結論を出すというが、先行きは不透明だ。

そもそも新規に開発される高額な薬や技術をすべて公的医療保険制度の対象にしていたのでは財源が到底足りなくなる恐れもある。
このため「費用対効果に優れたものだけを対象にするのも一案」(福田敬・東大准教授)といった意見も目立ち始めた。

医療費はだれがどのような形で負担するのか。
公的医療保険はどこまで保障すべきか。根本的な議論が必要な状況だ。


薬の費用対効果 議論を
2000年代に登場した分子標的薬はがん細胞だけを攻撃、副作用がない「夢の薬」などと呼ばれた。
その後、一部の薬で副作用事故が表面化し期待感は多少薄れたが、今や医療現場で普通に使われる。
しかし、「患者の生存期間にほとんど差がない薬もある。患者にどのような意味のメリットがあるのか検証すべきだ」(国立がん研究センター中央病院の島田安博・消化管内科長)という声も出てきた。

これまで日本では有効性・安全性が認められ、現場で普及し始めた技術や薬などは広く公的医療保険の対象としてきた。
海外では使えるのに日本では使えない薬があるという批判に応えるために、薬の承認や保険適用は加速しているきらいもある。

しかし、高齢化に伴い医療費は年35兆円を超えて増え続ける。
効果が明確な薬は多少高額でも公的保険の対象にしないと多くの患者が使えずに困ってしまうが、効果が不確かなのに高額な薬まで取り込んでいては財源が持たないとの危機感が出てきた。
そこで、費用対効果論が登場する。

英国では費用対効果に一定の基準を設け、原則としてそれに合致した場合だけ公的な医療制度の対象とする仕組みを取り入れている。
一つの参考になりそうだ。
ただ命がかかわる問題だけに慎重かつ十分な議論が求められる。

小松恒彦・帝京大医学部教授は「病気になってからでは冷静な判断ができないこともある。自分のため、社会のため、いくらなら負担できるかなど、健康なときから国民一人ひとりが医療制度はどうあるべきか考える必要がある」と指摘する。 (編集委員 山口聡)

出典 日経新聞・朝刊 2010.11.14
版権 日経新聞



他に
井蛙内科開業医/診療録(4)
http://wellfrog4.exblog.jp/
(H21.10.16~)
井蛙内科開業医/診療録(3)
http://wellfrog3.exblog.jp/
(H20.12.11~)
井蛙内科開業医/診療録(2)
http://wellfrog2.exblog.jp/
(H20.5.22~)
井蛙内科開業医/診療録 
http://wellfrog.exblog.jp/
(H19.8.3~)
(いずれも内科専門医向けのブログです)
「井蛙」内科メモ帖 
http://harrison-cecil.blog.so-net.ne.jp/
葦の髄から循環器の世界をのぞく
http://blog.m3.com/reed/
(循環器専門医向けのブログです)
「葦の髄」メモ帖
http://yaplog.jp/hurst/
(「葦の髄から循環器の世界をのぞく」のイラスト版です)
があります。