抗がん剤の吐き気解消

副作用を長く抑える新薬

がんの治療でつらいのが、抗がん剤による吐き気や嘔吐などの副作用だ。
こうした副作用を防ぐ薬は「制吐薬」と呼ばれ、最近、二つの新薬が登場した。
従来の薬は抗がん剤の使用直後に起きる症状にしか効果がなかったが、2日目以降も起こる吐き気や嘔吐を抑えられる。日本癌治療学会も使い方のガイドラインをまとめた。

東京都内に住む女性(49)は今春、両胸に乳がんが見つかり乳房温存手術を受けた。
再発を防ぐため、5月から抗がん剤治療(FEC〈フェック〉療法)を受けることになった。

この療法は90%以上の確率で嘔吐などの症状が出るが、新しい制吐薬を使い吐くことはなかった。
「二日酔いの胸焼けみたいな感じが多少あったぐらい。お陰で仕事も休まず続けられた」という。

抗がん剤による吐き気や嘔吐には、使用後24時間以内に出る「急性」と、その後4~5日目ぐらいまでに生じる「遅発性」がある。

女性が使った制吐薬は昨年12月に発売された「アプレピタント(商品名イメンドカプセル)」。
今年4月にも新たな制吐薬「パロノセトロン(同アロキシ)」が発売された。
いずれも急性だけでなく遅発性にも効果がある。
吐き気止めの効果もある抗炎症薬ステロイドを組みあわせれば、最も副作用が出やすいタイプの抗がん剤でも嘔吐の7割ほどを抑えられるという。

抗がん剤は正常な細胞にとっては毒だ。
体内に入ると追い出そうと反応する。
このため、消化管や血液中にある神経伝達物質が脳に「嘔吐せよ」という指令を伝える。

アプレピタントは、遅発性の嘔吐にかかわる神経伝達物質「サブスタンスP」が、脳にその信号を伝える受け皿(受容体)と結びつくのを防ぐ。
副作用は、しゃっくりや便秘など軽いものが多い。

福岡大学腫瘍・血液・感染症内科学の田村和夫教授は「嘔吐や吐き気が続くと食事が取れず体重も減る。治療のたびにやせては十分な量の抗がん剤が使えない。
吐き気の制御は効果的な治療をする上でも重要だ」という。

パロノセトロンも、嘔吐にかかわる神経伝達物質セロトニン」が腸管の受容体と結びつくのを防ぐ。

順天堂大医学部の齊藤光江乳腺科診療科長によると、パロノセトロンは、セロトニンが受容体に結びつくのを防ぐ薬の中では「第2世代」と呼ばれ、従来の「第1世代」より長時間効果が持続する。
一度受容体に結びつくと離れにくいこともあり、遅発性の副作用にも効くと考えられる。
副作用は便秘、頭痛など軽いものが多い。

齊藤さんらのグループは抗がん剤治療を受ける約1100人の患者を、パロノセトロンを使う患者と、第1世代を使う患者に無作為に分け、ステロイドと共に使い、嘔吐が抑えられる率を比べた。

その結果、遅発性の嘔吐を抑えられた率はパロノセトロンが57%、第1世代が45%と、パロノセトロンの方が優れていた。
急性を抑えられた率はいずれも75%前後と変わらず、臨床試験の結果は昨年、英医学誌に発表された。

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費用高額、普及に壁

日本癌治療学会は5月、制吐薬に関する初のガイドラインをまとめ、抗がん剤の種類別に嘔吐を催しやすいリスクを示した=
最もリスクが高い抗がん剤を使う場合は、アプレピタントと、第1世代を含むセロトニン受容体拮抗(きっこう)薬、ステロイドの3剤併用を推奨した。

■嘔吐リスク90%以上の抗がん剤(カッコ内は治療に使うがん)
・シスプラチン(肺がん、食道がん前立腺がんなど)
・シクロホスファミド(乳がん悪性リンパ腫など)=高用量の場合
・ダカルバジン(悪性黒色腫、ホジキンリンパ腫)
・プロカルバジン(悪性リンパ腫
・ドキソルビシン+シクロホスファミド(乳がん)=AC療法と呼ばれる
・エピルビシン+シクロホスファミド(乳がん)=EC療法と呼ばれ、5-FUを加えるとFEC療法


ガイドラインづくりに携わった四国がんセンター松山市)乳腺外科の青儀(あおぎ)健二郎医師によると、欧米では標準的な治療薬が日本では認可されてこなかったこともあり、急性にしか効かない薬を使い続けるなど根拠のない治療がみられる。
患者が通院しながら受ける化学療法が広がり、医師が遅発性の副作用に気づきにくい場合もあるという。

ただ新しい薬は従来品より高額だ。
標準的な使い方をすると、アプレピタントとパロノセトロンで計約2万6千円(うち患者負担は3割)。

同センターは入院患者の医療費について、診療報酬を検査や投薬に応じた「出来高払い」で受けるのではなく、病気の種類により「定額払い」で受けるDPCという制度を導入している。
同病院を含め、DPCを導入している病院が新しい制吐薬を使った場合、従来の薬との差額は、病院側の負担となる。

DPCを導入している病院は、全国で約1400カ所に上る。
青儀さんは「病院の収益につながらないからと、新薬を使わない医療機関が出てくる可能性がある。今後の大きな課題だ」と指摘する。
    
東京本社医療グループ記者 岡崎明子

●筆者(岡崎明子)から
抗がん剤」=「嘔吐」というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。
良薬は口に苦しと言いますが、最近まで、がん細胞を殺す強い作用を持つ抗がん剤に、吐き気や嘔吐の副作用があるのは仕方ないと考えられていました。
今回の記事と前後して、「がんとともに」の特集記事で「がんと食事」の話を掲載しましたが、患者さんから最も多かったのが、抗がん剤の副作用による吐き気や嘔吐で食欲がわかないという訴えでした。

がん治療に伴う副作用を緩和する治療を「支持療法」と言います。
日本は欧米に比べ、この分野が遅れていると言われています。抗がん剤を使ってすぐ出る症状を抑える薬はあっても、後から来る吐き気や嘔吐を抑える薬が認可されていなかったのも一因です。
そのためステロイドを長期間使うなど根拠のない治療が行われていました。

吐き気や嘔吐の症状は、若い女性、車酔いしやすい、普段お酒を飲まない人などが出やすいそうです。
こうした人には特に今回紹介したアプレピタントやパロノセトロンの恩恵は大きいはずです。
抗がん剤を使うと考えただけで嘔吐してしまう「予測性嘔吐」の解消につながるかもしれません。

なぜ日本の医療現場ではなかなか支持療法が広がらないのでしょうか。
今回取材した医師全員に、この疑問をぶつけてみました。
いろいろな答えが返ってきましたが、「医師が興味を持たない」「患者も訴えない」という意見が共通して挙がりました。

海外の論文ですが、医師が把握している患者の嘔吐の経験と、実際の患者の経験回数の差は大きいという報告があります。
痛みの治療に関しても言われますが、とくに日本人は我慢強く、自分の症状を医師に訴えないと言われます。

紙面で書いたように経営を考え、積極的に制吐薬を使わない病院もあるかもしれません。
こうした状況を変えるためにも、ひたすら副作用を我慢するのではなく、自分の症状を訴えることは大切だと思います。

出典 朝日新聞・朝刊 2010.10.14
版権 朝日新聞社

<私的コメント>
DPCという「定額払い」で受けるDPCという制度。
いろいろ問題があることにこの記事から浮き彫りになりました。