脳の盲点

脳の盲点 視界にあるのに「見た覚えない」 曖昧さ、意識が左右

視界に入っているのに、見た覚えがない――そんな不思議な現象に科学のメスが入った。
東京大学などが米科学誌に最新の研究を発表した。
身近ゆえにかえって見落とすさまを「灯台下暗し」というが、人間の視覚でも意識はあるのになぜか見逃してしまう頼りない一面が分かってきた。
意外に曖昧な視覚と、意識の関係を探った。

パソコン画面で、しま模様が描かれた円形とドーナツ型の図形が1秒間に30回の速さで切り替わる。

東京大学渡辺正峰准教授が「模様の左下に文字を表示します。模様を見ながら、注意を左下の文字に向けてください」という。
文字に注意を払うと「模様が変わりました」と渡辺准教授が声を上げた。

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だが模様がいつ変わったのかが全く分からない。
見えているのに、見逃してしまう。視覚と意識の不思議な関係が垣間見えた瞬間だ。
脳で視覚を担う部分を調べても、目の前の変化に反応していないという。

渡辺准教授は理化学研究所などと共同で、脳と意識の関係を探っている。
脳の血流が含む色素の還元ヘモグロビン濃度から脳の活動を測ると「意識をほかに向けていると、視覚内で風景が変わっても、脳の第1次視覚野の活動は活発にならなかった」(渡辺准教授)。
模様だけに注意を払えば、第1次視覚野は反応する。
注意が向かないところは、意識にはあっても目に留まらない。新発見は2011年11月11日付の米科学誌「サイエンス」に載った。

意外な盲点はまだある。
ときに色を見分けられなくなるのだ。
NTTコミュニケーション科学基礎研究所の西田真也主幹研究員は「人間の視覚は(輪郭や縁といった)エッジを捉えて、ものを見ている」と指摘する。エッジがないと色も判別できない。

西田主幹研究員が示したのは、白地に黒っぽい模様を描いた図だ。
模様は中心に近付くほど濃い黒になるが、どこにも明確な境界はない。
中心の黒い点に注意を向けて見続けていると、数秒後には模様が周囲の白色に塗りつぶされ、小さくなっていくように見える。

周囲が中央に侵食していく感じがする「充填」現象だ。
脳は、膨大な視覚情報の全ては処理しきれない。代わり映えのしない部分には構わず、激しく変化する境界の情報を優先する。

実験では、黒い部分を見ているつもりでも、実際は白と黒の境界線を気にかけている。
境界線内側の色は脳内で後から補う。
色の境界線が曖昧だと、境界線内側の色を省く作用が働く。

また、高速で走る自動車を目にしたときは、色の情報だけでは不十分。
明るさと動きの情報から境界線を決め、その後に境界線の内外の色を連想する。
「明るさや動きといった個別の情報が脳内の異なる経路で処理された後、統合されている」(西田主幹研究員)

不完全な人間の視覚だが、いいかげんさが高度な機能をもたらしたのかもしれない。
目をつぶった状態から、ほんの一瞬だけ目を開き、すぐに閉じる。
目の前の景色の隅々に注意を向ける余裕が無くても、景色を大ざっぱに捉えることができる。
注意と意識がバラバラなのにだ。

補う働きも備えてはいる。
「ものを素早く見つけるため、目が無意識のうちに細かく動いている」(東京工業大学の金子寛彦准教授)。
眼球には、意思で制御できない微小な揺らぎがある。
視野角は1度以下。
意識を集中しているときは、この揺らぎが活発になる。

金子准教授は黒と赤の数字を1秒間に4回表示する実験をした。
たまに出る赤い数字を見落とさないよう指示しておく。
すると赤い数字を見つけた後には眼球の揺らぎの頻度が半分程度になった。
何かを見つけようと緊張した状態に比べ、漫然とものを見ていると、揺らぎの回数が減った。

「運転手の眼球の動きを観察し、集中度合いが分かりそうだ」と金子准教授。
ぼんやりとしたときに注意を促せば、交通事故対策の一助になる。

視覚の研究は脳の活動と密接に関わり、未解明の部分も大きい。
ここ数年で話題となった3次元(3D)映画などは視覚の仕組みを活用した好例だ。
視覚の研究から目が離せない。 (草塩拓郎)


▼視覚野
視覚をつかさどる脳の部分で、後頭部の後頭葉と呼ばれる場所にある。
このうち脳の最後部に第1次視覚野と呼ぶ領域が位置し、第1次視覚野を取り囲むように2~4次視覚野がある。

網膜がとらえた視覚情報は視神経を通じ、まず第1次視覚野に到達。
ここでは左右それぞれの目から入ってきた画像を統合したり、明るさや色のコントラストを解析したりする。

視覚情報はその後、2~4次視覚野で処理されながら伝わり、最後は頭の側面にある側頭葉、頭頂部の頭頂葉などの連合野に送られる。
側頭葉では物体を識別し、頭頂葉では物体の運動を認識する。

出典 日経新聞・朝刊 (SUNDAY NIKKEI) 2012.2.12
版権 日経新聞

<私的コメント>
きょうのGOOGLEのタイトル、ちょっと良かったですよね。

さて
「心焉に在らざれぱ、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず」

『大学』
「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」
(こころ、ここにあらざれば、みれどもみえず、きけどもきこえず、くらえどもそのあじをしらず)

医療の領域でも同じようなことがあります。
たとえば診察。
腕のいい皮膚科の専門医は専門外の医師には診断がつかない皮膚病変を即座に診断します。
医学生や腕(耳?)の悪い医師は立派な聴診器を持っていても、心雑音を聴くことが出来ません。


<きょうの一曲>
マイファニー・バレンタイン
http://www.youtube.com/watch?v=hdi4yAmSiIU