教養ってなんだろう?

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9月23日に「北辰斜めに」という題でエッセイ風味で少し
書かしていただきました。
その時に「教養って何だろう」ということがずっと心に
引っかかっていました。
実は、私には大学に二人子供が通っているのですが、
教養課程はバイトと飲み会の2年間のようです。
自宅通学ですが、読書をしている姿は見たことがありません。

自分が教養課程の時は時代時代的にバイトも飲み会も
ほとんどなく、暇な時間が山ほどありました。
このボーッとしていた下宿生活での時間は、今から振り
返ってみて少しは読書も出来たし、いろいろ考えることも
出来て有意義だったと思います。

皆さんの青春時代はいかがだったでしょうか?

「北辰斜めに」
http://blogs.yahoo.co.jp/ewsnoopy/3299770.html


ある辞書で教養を調べると
「学問知識などを身につけることによって得られる、
心のゆたかさ」
とあります。
辞書にはこう書いてありますって説明の仕方は元来好きでは
ありません。
辞書の内容が金科玉条ではないからです。
ただし「心のゆたかさ」って言葉。
抽象的ですが何ともいい表現ですね。

以下ウイキペディアからの引用です。
教養(きょうよう)とは、個人の人格に結びついた知識や行いの事。
これに関連した学問や、芸術および精神修養などの教育、
文化的諸活動を含める場合もある。
一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定
レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術
など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、
物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。
「教養」に相当するギリシア語は、“パイデイア”であり、意味は
「子供が教育係に指導されて身についたもの」の事である。
英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、
ドイツ語ではBildungであって「つくられたもの」の事。
それぞれに教養の捉え方に対する文化的な温度差がある。
また、「教養」は、伝統的に西欧の大学で扱われている
リベラル・アーツに相当するものとしても捉えられる。
この起源もギリシア時代の自由人のための学問に起源を発する。
しかし現代の日本では、「パンキョウ」という語に代表されるように、
大学の専門課程以前の広範な一般的基礎知識を指すに終止
することが多い。
「あの人は教養がある」というように口語的に用いられる場合は、
人付き合いや社交の場において、洗練された会話や身のこなしが
出来る能力を示す事が多い。
これには多分に人間的評価の意味が含まれており、
逆に「教養がない」という表現で「常識のない人間」や
「品位や人格に問題のある人間」を謗る事がある。
しかし、これらは必ずしも正確なものではない。
「教養ある人間」すなわち教養人が相応の尊敬を得るのは
、単に知識が豊富な状態(博識)に留まらず、人間性という実
を伴うためである。
仮に現状の知識が乏しいからといって、その状況は非難
される性質ではない。
知識を求めて学ぶことで、品位と人格高めようとする
心構えが重要なのである。

ヨーロッパ
ヨーロッパの伝統的教養観は、上流階級同士の社交界において
洗練された振る舞いや会話を楽しむ能力、およびそれに必要な
知識や文化的素養であった。

日本
一部 略
現代の情報化社会において、世人が旧来の文化文物に
ほとんど触れず、テレビやネットなど視覚的刺激を広く享受
するようになった世情を指して、「教養主義は滅んだ」、
あるいは滅びつつあるとする主張も見られる。
価値観があまりにも多様化した現在の日本では、教養という
言葉も死語になりつつあるのかもしれない。

旧制高校の教養
明治末?昭和戦前期の旧制高校では、高校生として読むべき本
というものがあった。
大正頃、西洋哲学(特にドイツ観念論)が流行し、カントの
純粋理性批判』や西田幾多郎の『善の研究』などの哲学書
当時の必読書であった。こうした難解な哲学書を時には原書で
読み、学生同士で夜を徹して議論をする事もあった。
全国からエリートが集まる旧制高校において、お互いに
見栄を張る要素もあったが、共通の会話を成立させるもの
でもあった。

教養課程
第二次世界大戦後、旧制高校が廃止され、代わりに大学の
教養課程(教養部)が出来た。
かつての旧制高校は一種、人格の修練場であったが、大学の
教養課程の科目は一般教育科目を中心に俗にパンキョウと呼ばれ、
専門課程を迎える前に、消極的に履修する必修科目群という
扱いを受ける事が多くなった。

教養
http://ja.wikipedia.org/wiki/教養

爆笑問題のニッポンの教養
http://www.nhk.or.jp/bakumon/

<最後に>
教養っていう言葉は結局つかみどころのない言葉です。
言葉自体恐らく明治以降に作られた言葉と思われます。
「教養が邪魔して」という言葉があります。
却って妨げになるものでもあるようです。
ないよりあった方がいいかも知れない程度のものだし、
人それぞれの価値感があります。
一つ言えるのは学校で教えて貰うような受動的なもの
ではないということです。
教える側が教養人かどうかも保証の限りでは
ありません。
私は
知識だけでなく立ち居振る舞いを含めた全人的な豊かさ。
ととりあえず定義してみました。

たとえ学者でも粗雑な人は教養ある人とは認めたく
ありません。
立花 隆氏は自身で教養人と認めているようですが、
どんな人か一度会ってみたいものです。

さて昨日の診察の際、足を組む人がいました。
私はその行為がとても嫌いです。
時々同じような人がみえますが、足を組まれると診察が
出来ません。
診察中電話がかかってきて平気で電話に出て話し出す
人も嫌いです。
医者も人間ですから、つい診察も手抜きになって
しまいます。
もちろんこちらもプロですから本人には気づかれない
程度にですが。

ちょっとした流行語のKY。
こういう人達こそ教養、素養のない人ということが出来ます。

立花隆
http://ja.wikipedia.org/wiki/立花隆
相は「紙オムツ常用」状態!? 立花隆の超過激コラム
http://www.j-cast.com/2007/02/26005786.html
東大生はバカになったか
http://www.ywad.com/books/1102.html
立花隆先生、かなりヘンですよ
http://www.ywad.com/books/1103.html
立花隆はどうしてしまったのか
http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2005/04/post_f98b.html


医療専門のブログは別にあります。
井蛙内科開業医/診療録http://wellfrog.exblog.jp/
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