「免疫の記憶喪失」

「免疫の記憶喪失」を引き起こすという新事実

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/kyokotadr/202006/565939.html

今回の新型コロナウイルス感染症(COIVD-19)の流行に伴い、感染症と人類の歴史を振り返るような番組や雑誌の特集を散見する。

新聞の書籍広告に「疫病と世界史」が掲載され、「感染症と文明」が新書ランキングの1位になるようになった。

 

歴史にインパクトを与えた急性感染症といえば、天然痘、麻疹、黒死病(ペスト)、スペイン風邪などが浮かぶのではないかと思う。

現在話題となっている感染症のほとんどが動物由来であり、人や物資の交流を通じて世界に広がっていったと考えられている。

これらについて考えるとき、いつも疑問がつきまとう。

 

麻疹の死亡率は時代や社会状況によって違う

人類が撲滅した感染症である天然痘は、variola major とminorがあるが、ワクチン未接種の場合には、前者は死亡率が30~50%、後者が1%未満だ。

ペストも未治療の場合には、致死率60~100%と言われている。

有効な抗菌薬がなく、病原体という概念さえない時代には、極端な表現だが、国を壊滅させるだけのインパクトがあったと十分考えられる。

 

では、麻疹はどうだろうか。

麻疹はごく最近まで、まだ身近なものだったが、歴史を変えるような激烈な感染症という印象はなかった。

実際、先進国における麻疹の死亡率は0.1%と低く、途上国では5~10%となっている。

ただし、免疫を持たない孤立した集団で麻疹が発生した場合には、苛烈であり、高い死亡率(25~40%)を示したと言われている。

1875年のフィジー諸島での流行では、島民の25%が死亡したと報告されており、麻疹の死亡率は時代や社会によって大きく違うことが知られている。

 

肌感覚と歴史の間にある麻疹のインパクトの差はどこから来るのか。 

コロンブスの交換」や「アテナイの疫病」の中で語られてきたように、麻疹はなぜここまで、歴史上、社会に壊滅的なダメージを与えることができたのか──。

 

空気感染だから感染者が爆発的に増えるからだろうか(ちなみに基本再生産数は12~18とCOVID-19の10倍近い)。

なぜ、環境や素因によって、病原体の性質が変化するのだろうか。

ちなみに西洋諸国での麻疹の死亡率は、20世期初頭から減少しはじめ、1940年代には10分の1になっていたと推定されている。

これは、有効なワクチンの登場する20年前だ。

 

「Disease 人類を襲った30の病魔」(医学書院)には「麻疹の病原性に違いがあるのは、その集団の栄養状態や年齢構成、生活水準に差があるのではないか」と述べられている。

また「感染症と文明」(岩波書店)では「麻疹による死亡率が時代や社会によって違うのは麻疹をめぐる『謎』である」と書かれている。

感染症の流行や病態には、病原体の性質、社会構造や人類の健康状態などの多くの要素が関係する。

この「謎である」という表現はまさにその通りだと思う。

分からないものは、分からないとしておいた方が良いのだ。

 

麻疹は「免疫の記憶喪失」を引き起こす

昨年、発表された論文「Measles virus infection diminishes preexisting antibodies that offer protection from other pathogens」(Science. 2019)では、77人のワクチンを接種していない小児を麻疹の流行の中で経過観察し、VirScan という病原体に対する抗体を網羅的に調べる手法を用いて、麻疹に罹患する前と後で、血液中の抗体の量を比較しいる。

結果は、11~73%の割合で抗体が減少しており、この抗体の再獲得には、もう一度その病原体に感染する必要があったと報告している。

ちなみに、MMRワクチンを接種している場合には、このような抗体の減少は見られなかった。

 

この研究では、病原体に対する抗体を比較していたが、他の動物を用いた研究では麻疹罹患後の免疫の低下についてB細胞系へのダメージが原因として報告されている。

B細胞は抗原を記憶し、抗体を産生するリンパ球であり、麻疹によりこの部分がのダメージを受けると言うことは、麻疹による「免疫の記憶喪失」に矛盾しない結果と言える。

 

麻疹が、全く免疫のない集団に感染した場合の死亡率は高いが、特に青壮年期の死亡率が高かったと報告されている。

人間は出生して、母体からの受動免疫がなくなった後、種々の病原体に感染し免疫を獲得していく。

常に麻疹の流行している地域では、麻疹は小児期に感染する疾患となる。

麻疹に罹患しそれまでに獲得していた他の病原体に対する免疫をある程度失ったとしても、小児期であれば、暴露している病原体の数も少なく、再度それらの病原体に罹患して免疫を獲得することはできたのではないだろうか。

麻疹に罹患した後に、細菌感染や結核の再燃を起こしやすいことは知られていた。

「麻疹にかかって数年は、いろんな感染症にかかりやすい」と言うのは、小児科の先生の一部では常識となっている。

また、衛生環境が整わない時代には、乳幼児の死亡率は高いままだったので、麻疹の流行がその集団の人口構成に影響を与えることは少なかったと考えられます。

 

ただし、その集団に全く、麻疹の免疫がなく、その伝播力の強さから一気に感染が拡大した場合は別だ。

老若男女を問わず、それまでに獲得した他の病原体に対する免疫を失うことになる。

乳幼児の死亡率の高い時代における青壮年期の集団は、その地域で流行していた種々の病原体に感染したが死亡せず、免疫を獲得することで、その年齢まで生存してきた人たちだ。

これらの人たちが、その免疫を失い、今まで感染してきた病原体に再度感染し直すという状況に直面したとすればどうだろう。

しかも、衛生状態が悪く医学が発達していない時代なら、ひとたまりもなかったのではないだろうか。

これで麻疹を取り巻く謎を全て説明できるわけではないが、歴史にインパクトを残した理由の1つになるのではないかと考えられる。

 

麻疹と人間の付き合いは約5000年と言われている。

その麻疹でさえ病原性には未知の部分がまだまだ残されていた訳であり、これからも新たなる発見があるだろう。

一部解明された麻疹の感染メカニズムを参考に、今後、COVID-19の病態が解明されていくことを願う。

また、COVID-19という未知の感染症に立ち向かっているときだからこそ、予防できる感染症

対する対策を忘れてはならない。

 

執筆

香川県立中央病院・横田恭子 部長

 

参考・引用一部改変