驚異のウイルスたち 健康な人の体に「常在」

驚異のウイルスたち 健康な人の体に「常在」

感染した細胞 傷つけず身を隠す

東京大学のチームは体内に潜伏中のウイルスを追っていた。

ついに健康な人の全身に少なくとも39種類のウイルスが居着いていることを突き止めた。

肺や肝臓など主な27カ所で、感染を免れていた組織はゼロ。

想像を超える種類のウイルスは、脳や心臓にまで侵入していた。

ウイルスは人間や動物の体内でたちまち増え、すぐに体をむしばむ印象が強い。

発病していない「健康な感染者」の存在は、感染症と闘ってきた人間社会にウイルスとの新たな向き合い方を迫っている。

 

「健康な人に病原体としてのウイルスが思った以上に『常在』していて驚いた。全身で網羅的に調べたのは世界初だろう」。

6月4日、東大医科学研究所の佐藤佳准教授らは解析結果を発表した。

 

健康な人の体を生存中に隅々まで調べるのはふつうは無理だ。

ところが事故などで健康のまま亡くなった547人のデータが海外にあった。

研究チームは、全身51種類の組織について米国立生物工学情報センターに登録があるウイルス5561種類の痕跡を探った。

手掛かりは、ウイルスがヒトの細胞に感染して残した遺伝物質の情報だ。

 

丹念な分析はまさかの結果につながる。

血液や神経、肺や肝臓など27カ所をみても、全てにウイルスの痕跡が見つかった。

脳には8種類、心臓には9種類が感染。

中には風邪の原因にもなるコロナウイルスの一種もいた。

研究チームが目を疑ったのが「ヒトヘルペスウイルス7」だ。

「胃から驚くほど多く検出された」(佐藤准教授)。

 

ウイルスは沈黙を守っていた。

詳しくは今後の解析を待たねばならないが「何もしていないようにみえて、何かしているはず」と研究チームはにらむ。

今回の解析でヒトヘルペスウイルス7が尻尾を出したからだ。

感染が胃の遺伝子の働きを左右していた。

胃の生理機能に影響を及ぼしている可能性がある。

 

ウイルスに感染しても発病しないのは潜伏感染や不顕性感染といい、専門家にとって珍しくはない。

それでもインフルエンザウイルスのように潜伏期間が1~4日ならまだしも、何十年にもわたるとその理由に疑問がわく。

乗り移った私たちの体を有効活用しようと計算し尽くした戦略をとっているのは確か。

「どこで何をしているのか」の解明は、病気の予防や治療に役立つ。

 

ウマの脳炎を起こすと18世紀から何となく知られていた「ボルナウイルス」は、時に数十年を静かに過ごす。

人間にも感染する。

 

酪農学園大学の萩原克郎教授は国内で2千頭以上のウマやウシの血中抗体を調べた。

国内全頭の1割は感染済みとみられるが「脳炎などの症状が出るのは年数頭」(萩原教授)。

ウイルスは感染した細胞が死ねば自らも滅びる。

細胞を傷つけず寄り添うことで「感染した生物を殺さず、自らの子孫を残す」(萩原教授)。

ウイルスが身を隠すのは「いったん感染したチャンスを生かし、1人の体内で増える巧みな戦略」(神戸大学の亀岡正典教授)ともいえる。

 

潜伏期間が人間の寿命をはるかに上回れば、それほど気にかけなくて済む。

いつ牙をむくかわからないのが、ウイルスと付き合う難しさだ。

 

中高年で悩みがちな帯状疱疹は乳幼児期に感染した「水痘・帯状疱疹ウイルス」が原因だ。

頭や腰の神経節に数十年以上潜む。疲労や加齢で免疫力が下がると動き出す。

主に白血病の原因となる「ヒトT細胞白血病ウイルス1」も国内に約100万人の感染者がいるが、生涯の発症率は5%程度とされる。

 

ウイルスの存在は1890年代に謎の病原体として見つかり、後に毒液などを意味するラテン語のつづりにちなんで「ウイルス」と命名された。

 

だが病気を起こすかわからないウイルスが多数いるのなら、病原体という「定義」が揺らぐ。

感染者と健康な人の線引きも、これまでとは違った視点が求められる。

 

「ウイルス感染に対して、世の中がより寛容になるのか。逆に新型コロナウイルスの影響もあって、より過敏になるのか」(東大の佐藤准教授)。

最新のウイルス像に、専門家ですら自問自答する。ウイルスの実像に迫る研究が世界中で進むが、この世から一掃しようとの声は聞こえてこない。

そんな人類の姿に、ウイルスはほほ笑んでいるのか、それともほくそ笑んでいるのだろうか。

 

潜伏感染   症状出ずに一定期間感染

病気の症状が出ないまま、生物にウイルスなどの病原体が感染し続ける状態。ヒトヘルペスウイルスやボルナウイルスが、潜伏感染するウイルスの代表格だ。

感染者の立場からみて、発症していない状態を意味する「不顕性感染」と

もいう。

症状が出るまでの潜伏期間は最長で数十年に達する。

期間が厳密に決まっているわけではない。

感染した人の免疫力が下がると発症する傾向にある。

潜伏の形態の1つに、免疫細胞の標的となるたんぱく質を作らず、遺伝物質の形で身を潜めたり、生物のDNAに自らの遺伝情報を組み込んだりする例がある。

潜伏したまま他の人へ感染を広げるウイルスもいる。

 

参考・引用一部改変

日経新聞・朝刊 2020.6.21

 

<関連サイト>

健康な人の体に常在するウイルス

https://aobazuku.wordpress.com/2020/06/23/健康な人の体に常在するウイルス/