多剤耐性菌が拡大

多剤耐性菌アシネトバクター 強い「生命力」で拡大

帝京大病院(東京都板橋区)を皮切りに、次々と明らかになった多剤耐性菌アシネトバクターの院内感染。
感染拡大の原因として、病院側の認識の甘さや報告の遅れなどが問題視されているが、専門家は対策が難しい同菌の特性も一因に挙げ、今後も感染が相次いで発覚する可能性を指摘する。
これまで打ち出されてきた国の院内感染対策も、十分とは言い難いのが実情だ。
【佐々木洋、福永方人】


#乾燥に耐え生存 帝京大では2度沈静傾向に
アシネトバクターは高度耐性菌の中でも『生命力』が強く、対策は非常に難しい」。
自治医科大病院の森沢雄司・感染制御部長は指摘する。
感染が収まったように見えても、病院内のさまざまな場所で菌が生き延び、再び感染が拡大する恐れがあるという。

帝京大病院では今年2月、4人の感染者が出たが、3月には1人に減少。
同病院感染制御部の対応は、院内各科に通知を出すなどして注意を呼びかけるにとどまった。
しかし、4月から5月初めにかけ、一気に約10人が感染し、同病院は初めて「院内感染」と認識。
全感染者を個室で管理し、病棟を一時閉鎖するなど、拡大防止に乗り出した。

その後、6月には6人の感染者が出たものの、7月は1人で同月末時点での保菌者は計3人に減り、沈静化したように見えた。
同病院は8月4日に厚生労働省と東京都の定期検査を受けたが、院内感染については報告しなかった。
都の担当者は「定期検査の時点では院内感染は終息傾向にあると判断し、報告しなかったのだろう」と見る。

しかし、8月に同病院が精度の高い手法で全病棟を検査したところ、新たに7人の感染が確認された。
結局、感染者は計53人に上り、いまだに感染は終息していない。

一方、3人の感染者が出た都健康長寿医療センター。
このうち76歳の男性は今年2月、帝京大病院から転院した。
転院約2週間前の検査ではアシネトバクターは陰性だったが、転院当日の同センターでの検査では陽性となった。

帝京大病院は「転院までの2週間で感染した可能性はゼロではない」と話す。

こうした状況について森沢部長は「例えば緑膿菌は乾燥に弱く、水回りの対策で済む。
しかし、アシネトバクターは乾燥に強く、床やカーテン、パソコンのキーボードなど通常の環境でも数週間以上生存する。
病室などを1回調査しただけで、菌の有無を判断するのは難しい」と指摘する。
欧米の病院では、医療スタッフが使うPHSを介して集団感染が発生したケースもあるという。

次々と明らかになる院内感染は今後も拡大するのか。

日本感染症学会理事の舘田一博・東邦大准教授(微生物・感染症学講座)は「院内感染をゼロに抑えるのは不可能。アシネトバクターは既に国内でも広がっていると考えられ、検査を強化すれば新たな院内感染が発覚する可能性がある。院内の監視体制を強め、菌が検出されたら速やかに保健所などに報告し、消毒で拡大を防ぐなど、本来の感染対策を改めて徹底すべきだ」と指摘する。


#国の対策、後手に回る
国の院内感染対策は、セラチア菌多剤耐性緑膿菌などによる集団感染が問題化するたび、法律・省令の改正や、自治体への通知などによる対応を繰り返してきた。
後手に回ってきた感は否めず、感染症対策のスタッフの少なさの解消など抜本的な対策は先送りにされてきたのが実情だ。

国は04年1月、大学病院などの特定機能病院について、省令改正で専門知識を持つ専任の担当者を置くことを義務化。
07年4月施行の改正医療法では、診療所などを含めたすべての医療機関に院内感染マニュアルの策定を義務づけるなど、医療機関の安全対策に院内感染対策を初めて明確に位置づけた。

アシネトバクターを巡っては、福岡大病院の院内感染を受け、09年1月、厚労省が対策を求める通知を都道府県に出した。
しかし、帝京大病院では、感染制御部の医師らが通知を知りながら素早い対策を取らずに被害を拡大させ、保健所への報告も遅れた。
このため厚労省は今月6日、改めて対策の徹底を求める通知を出した。

帝京大病院の対応について厚労省の担当者は「専任職員といっても、どの程度機能していたかは今後の調査次第。医療機関ごとに相当意識の差がある可能性もある。
行政への届け出の遅れは、感染症法の報告義務対象になっていなかったからではないか」とみる。

同法では、バンコマイシン耐性黄色ブドウ球菌など5種類の耐性菌について発生時の報告を義務づけているが、アシネトバクターは対象外だった。
このため長妻昭厚労相は独協医大病院で国内初確認された「NDM1」も含め、届け出対象に含めるか検討を指示した。
新しい耐性菌の広がりを把握するため、全国的な調査に乗り出す方針も固めた。

感染症専門医の少なさなど、欧米に比べ遅れが指摘されていた日本の院内感染対策。長妻厚労相は7日の会見で「専門家の意見も聞きながら実態把握を進め、これを機に対策を徹底したい」と語った。




昨日の日経と朝日朝刊一面、「春秋」と「天声人語」では奇しくも多剤耐性菌が取り上げられていました。

▼気の毒にも「腸チフスのメアリー」と呼ばれた女性が、20世紀初めのニューヨークにいたそうだ。
7年間に6軒で家政婦をするうち、7回も腸チフス流行の感染源になったというから驚く。
吉川昌之介さんの『細菌の逆襲』という本に書かれている
▼この病気は無症状の保菌者や、病後保菌者が多いといわれる。
彼女は計51人に直接感染させ、二次感染は千数百人にのぼったそうだ。
とうとう離れ島へ送られたと聞けば、古ぼけた昔話に思えるが、細菌の脅威は今も消えてはいない
抗生物質の効かない「多剤耐性菌」をめぐるニュースが続いている。
帝京大病院で大人数の院内感染が起きたと思ったら、独協医大病院では患者から新型の大腸菌が検出された。
後者は近年インドで見つかった菌の初上陸だという
ペニシリンに始まる抗生物質は「20世紀の奇跡の薬」といわれる。
多くの命を救ってきた。
しかし細菌も、たまたま耐性を得たものは生き残り増殖する。
その進化と新薬開発のいたちごっこが延々と続いている
▼切り札といわれる薬さえ効かない「スーパー耐性菌」も見つかっている。
つまりは人と細菌の、生物間の生存競争なのだという。
あなどれぬ敵との果てしない競争である

要は予防だが、医療従事者は手洗いが大切だそうだ。
これは暮らしの中でも、もっと広まらないだろうか。素朴ながら効果は大きい。
暑さで忘れているが、遠からずインフルエンザウイルスの季節も来る。
お互いに、知らず知らず「メアリー」にならない用心を、まず心がけたいものだ。

出典 朝日新聞・朝刊 2010.9.8「天声人語
版権 朝日新聞社




対岸の火事ではない、と思っていたが火の粉はとっくに飛んできていた。
ほとんどの抗生物質が効かない新型耐性菌の話である。
欧米で騒ぎが広がるよりもずっと前の昨年春、じつは栃木県の独協医科大病院で感染者が出ていたという。
▼そのときは菌を特定できず、今になって調べてみたらNDM-1という酵素を持つ「新型」だったらしい。
ずいぶん後手に回ったわけで、もはや国内でもこの細菌との闘いを覚悟するしかないのだろう。
先週には別の耐性菌による院内感染も明らかになっている。
これも病院の手抜かりが被害に輪をかけたようだ。
▼微生物のほうにも言い分があろう。
人間界ではNDM-1だの多剤耐性アシネトバクターだのと大騒ぎするけれど、もとはといえば地球上のどこにでもいる細菌の数々。
なのに人間たちが抗生物質を使いまくるから生き延びるために抵抗力がつき、いよいよ嫌われる存在にと相成った。
こんな悪者に誰がした……。
▼平凡な細菌をそこまで変質させておきながら、人間たちの危機感は薄いようだ。
新型耐性菌の上陸が1年半後に分かるというのでは、敵のすばしっこさに追いつけるものかと心配になる。
厚生労働省はこれから全国調査に乗り出す方針という。
変幻自在の相手を前に、いつものお役所仕事のペースがいらだたしい。

出典 日経新聞・朝刊 2010.9.8「春秋」
版権 日経新聞