「偽薬」

臨床の現場で患者に「偽薬」を使うことは許されるか

プラセボ」とは日本語に訳すと「偽薬(ぎやく)」で、乳糖や生理食塩水などでできた、薬効成分を含まない薬のことです。
なんらかの症状のある患者さんに薬効成分を含まない薬、つまりプラセボを使うと、症状が改善することがあります。
薬効成分がない薬に治療効果があるのは不思議な気もしますが、「薬を飲んだから大丈夫」という安心感が作用しているのかもしれません。
プラセボによる治療効果のことを「プラセボ効果(偽薬効果)」と呼びます。
痛みや不安、不眠などにはプラセボ効果が生じやすいと言われています。
思いのほか、精神と身体とは関連しているものです。
 
臨床試験において薬に効果があるかどうかを確かめたいときに、比較の対照としてプラセボを使うことがあります。
患者さんを本当の薬(実薬)を使う群と、偽の薬(プラセボ)を使う群に分けて、治療効果に差があるかどうかを観察します。
実薬群のほうがプラセボ群と比較して症状が改善した患者さんが多ければ、その差が実薬の本当の治療効果というわけです。
プラセボを使わず、何も薬を使わない無治療群と実薬群を比較したのでは、実薬群で症状が改善したとしても、薬の本当の効果によるものか、それとも「薬を飲んだから大丈夫」という安心感などが作用したものなのか、区別がつきません。
 
プラセボ効果だろうと、症状が改善すればいいじゃないか」という意見もあるでしょう。
実際に、臨床試験ではなく実地臨床において、プラセボが使われることがありました。
たとえば、不眠で睡眠薬の追加を希望する入院患者さんに対して、「よく眠れる薬」と称してビタミン剤を処方する、などです。
(厳密にはビタミン剤は薬効成分が含まれているので純粋なプラセボとは言えませんが、プラセボ効果を期待して使われます)
追加の睡眠薬を使うと副作用が出ることがわかっている患者さんには、できる限り実薬は使いたくないものです。
かといって、「副作用が出るといけないので、今日はもう睡眠薬は出しません」では、患者さんにとっては不満です。
プラセボが全然効かないならともかく、けっこう効くケースもあるのです。
とはいえ、「プラセボを使うこと」は「患者さんをだますこと」とも言えます。
臨床試験であれば、前もって「プラセボ群に振り分けられることもあります」と説明し、同意を得ることもできますが、実地臨床で「これはニセの薬です」と説明して使うわけにもいきません。
仮に説明してから使ってもおそらくプラセボ効果は十分に得られないでしょう。
一方で、患者さんに十分に説明せずにプラセボを使い、後でそのことを患者さんが知ったら、信頼関係が壊れかねません。
最近では「実地臨床でプラセボを使うのは、倫理的に良くない」ということになっています。
これは、インフォームド・コンセントが当たり前になってきていることと無関係ではないのです。

出典
朝日新聞 2016.4.11(一部改変)



主観的症状に効くが、客観的所見には効かないプラセボ

プラセボ効果についての研究は多数ありますが、その中に2011年に発表された、気管支喘息に対するプラセボ効果を検討した研究があります。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21751905

気管支喘息は、呼吸のための空気の通り道である気道が狭くなり、ゼイゼイと音が鳴る「喘鳴」や呼吸苦が生じる病気です。
治療は気道の炎症を抑えるステロイドや気道を広げる気管支拡張薬を使います。
この研究は、気管支拡張薬(albuterol)の吸入によく反応する気管支喘息の患者さん46人を対象に行われました。
46人のうち7人がドロップアウトして、最後まで研究を完遂できたのは39人。
albuterolは、日本では商品名・サルタノールとして広く使用されています。
患者さんは、気管支拡張薬の吸入、プラセボ吸入、プラセボ鍼(はり)、無治療の4種類のいずれかの介入を、ランダムな順番で受けます。
プラセボ鍼(sham acupuncture)というのは、患者さんは鍼を刺されているように感じるけれども、実際には皮膚を貫かないように作られた偽物の鍼のことです。
普通は本物の鍼の効果を調べる臨床試験において対照群に使われます。
患者さんはそれぞれ、呼吸機能検査で1秒間に吐き出す空気の量(1秒量)と、自己評価による症状の改善が測定されました。
「1秒量」は客観的な結果、「自己評価」は主観的な結果を表します。
気管支拡張薬の吸入によって、1秒量は20%改善しました。
これは本当の薬ですから当然です。
一方で、プラセボ吸入、プラセボ鍼、無治療の改善はいずれも7%だけでした。
客観的な結果に対してはプラセボ効果は働きませんでした。
一方、自覚症状においては、気管支拡張薬の吸入で50%改善したものの、プラセボ吸入、プラセボ鍼でもそれぞれ45%、46%改善し、実薬とそれほど変わりませんでした。
無治療群では改善の程度はわずか21%。つまり、「主観的な結果」に対しては、プラセボ効果は強く働いたことになります。
この研究において、プラセボ効果は客観的な結果を改善させないにも関わらず、主観的な結果を改善させたのです。
こうした傾向は先行した別の研究とも一致し、プラセボ効果の有効性と限界について、一定の根拠を持った推測ができます。
また、この研究は「患者さんの自己申告だけを指標に治療するのは危険かもしれない」という教訓を与えてくれます。
何らかの薬を処方し、患者さんの自覚症状が改善したとしても、本当は処方した薬はぜんぜん効いておらず、プラセボ効果を観察しているだけであるという可能性を、臨床医は考慮しなければなりません。
病気の種類によっては、「自覚症状が改善すればそれでいい」というわけではありませんから。

出典
朝日新聞 2016.4.18(一部改変)

<私的コメント>
気管支喘息は「死に至こともある怖い病気」です。
治療にプラセボを使用することはいささか人道上の問題があります。
こういった研究をする際には、研究デザインを「倫理委員会」に図ることが一般的です。
このシステムは大学病院や、(今では)一般病院でも組織化されています。
また、喘息は日々の変動があるため、実薬でも悪化することやプラセボでも改善することがありえます。
研究デザインとしてもやや問題がありそうです。


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                                 2016.4.3 撮影