躁とうつ繰り返し

躁とうつ繰り返し、苦しんだ日々 「絶好調」から電池切れ、不可解な行動も

双極性障害を知ってください・・・。
神奈川県在住の女性(47)が「うつ時々、躁」(岩波ブックレット)を出版した。
うつと躁の波に翻弄されながらも家族や医師、SNSで出会った当事者らの支えで「寛解」に至る道のりをつづる。

海空(みそら)るりさん(ペンネーム)は2012年夏、大学病院で「双極性障害」と診断された。
 
きっかけは前年に起こった東日本大震災
心の底から怖くなり、夫(47)の制止を振り切って、4歳の長男と1カ月の次男を連れ、西日本の故郷へ向かった。
 
へそくりで借りたマンションに着の身着のままの避難。
それなのに、福島から避難してきた人々を助けようと、近隣住民に支援物資の提供を呼びかける活動に奔走し始めた。
 
「次から次へとアイデアがわいて、しゃべり続け、夜も眠れない。疲労とストレスで突発性難聴になった」と振り返る。
 
2カ月で資金が尽き、自宅に戻っても「絶好調」と感じていた。
だがすぐに電池が切れたように起きられなくなった。
我が子のおむつも替えられない海空さんを見かねた義父母が次男を預かっていったが、感情の起伏が一切なく、「悲しくも寂しくもなかった」。
その状態が1年ほど続き、あまりにつらく、訪ねた大学病院で診断につながった。
 
だがその後も再び躁の波が海空さんを襲った。
子どもたち向けのイベントを次々企画するうち、「調子が良くなった」と自己判断し、薬をのまなくなったのだ。
 
家族で海外クルーズへと数千万円する見積もりを取ったり、1億円の豪邸を買う手続きを進めたり。
奇行に気づいた夫が後始末に走り、病院を代理受診して入手した薬を妻の口に放り込んで、事態は収束した。

◼︎ 当事者たちと交流、生活も改善し寛解
数カ月の激しい奇行が薬の力で治まると、またうつに倒れた。
海空さんは、病気と真剣に向き合うことを決意。
実は「双極性」の診断が下る7年前に「うつ病」と診断されていたが、妊娠などで治療から足が遠のき、再発を繰り返していた。
 
力を振り絞って、病気のことを調べ始めた。
起きられなくなるとツイッターを始め、多くの当事者が集うコミュニティーとつながった。
何もできない自分を嘆くと「生きているだけで十分だ」と励まされ、自治体のヘルパー派遣制度や障害年金のことも教わり、重い体を引きずって手続きを進めた。
 
きちんと薬をのむ一方で、家族の協力を得ながら生活の中での工夫や挑戦も重ねた。
脳を過剰に刺激しないようテレビや新聞を避け、少し動けるようになって買い物に行く時は、膨大な商品が並ぶスーパーやデパートでなく、コンビニへ。
行動範囲や滞在時間を探り、ダウンする日を徐々に減らすよう努めた。
 
昨年5月、主治医に「部分寛解」を言い渡された。
今は1日最多で14錠服用した薬が4錠に。
約20キロ増えた体重もほぼ元に戻り、寛解状態だ。
 
今年2月に出版した本は全79ページで、闘病中に書いていた記録をベースに、試行錯誤の日常をまとめた。「しんどい時は分厚い本が読めなかったので、当事者たちが寝転がって読んでも疲れない薄さと軽さにした」という。

◼︎ 双極性障害 患者数22万人、確定診断まで数年かかることも
厚生労働省の「患者調査」によると、双極性障害の患者数は17年で22.2万人、1996年の7倍になっている。躁状態うつ状態を繰り返し、「躁うつ病」とも呼ばれる。
 
躁の時は無駄な買い物や高揚感、いらつきなどがあり、病気の自覚がない場合が多い。
このため、うつ病とみなされやすく、確定診断までに数年かかることもある。
うつ病とは治療法が異なり、再発しやすいので寛解後も含め、服薬などによる症状コントロールが基本だ。一生付き合う病気だが、本人が病気を理解して受け入れ、家族と共に主体的に治療にかかわることが大切。大きな感情の波が抑えられれば、普通の社会生活を送ることができる。

◼︎ 「一歩引いて、見守って」 海空さんの夫の話
本人はうつがつらいが、家族は躁が大変。
「私は神様」というぐらい気が大きくなるので、外で誰かに迷惑をかけてないか、大けがをしているんじゃないかと気をもみました。
高額な品を買う前に見つけて尻ぬぐいするのは労力ですが、先方に病気のことを説明して謝ると理解してくれました。
 
躁の山が高いほど底が深くなる、つまり強烈なうつが待ち受けている。
それを防ぐことが大事。
躁の兆しは、すぐそばで観察している家族の方が本人よりもよくわかる。
だから「活動量が多くなっているからセーブしなさい」と歯止めをかけられる。
 
双極性障害の人がいる家族には「溺れている人と一緒に溺れる必要はない」と伝えたい。
本人はうつになると基本的に動きませんが、時に理不尽な怒りをぶつけてくる。
つい家族も感情的になりがちですが、この病気は一定の割合で起きるし、本人がきちんと病気に向き合い治療すれば、時間はかかっても制御できるはずだと一歩引いて眺める必要がある。
 
うつの時に妻が泣きながらつづっていた文章が本になって良かった。
私は妻が溺れても抱きつかせない距離を保ちながら、今後もやっていこうと思う。

参考・引用一部改変
朝日新聞・朝刊 2019.7.1